早起きは三文の得💕

早起き過ぎるアラサーシングルマザーの日々の記録

仕事とプライベートの充実「感」

不思議だ。

仕事に充実感が持てるようになると、

プライベートにも充実感がある。

 

この「感」っていうのがポイントなのかもしれない。

 

傍から見れば、

わたしの仕事は社会保険ナシのただの「パート」。

延長という名の残業に明け暮れて、

やっと月10万くらいもらえる。

決して生活に余裕はない。

 

仕事が充実「している」か?

と問われると、

ちょっと、わからない。

 

でも、わたしはいまの仕事が楽しい。

 

毎日、時間との闘いで、自分との闘いで、

滝のように汗をかきながら、

休憩なしで昼ご飯も食べず、

時には水も飲まずトイレも行かずで

約5、6時間だけど、

 

それを、受け入れているし、

愉しんでいるんだと思う。

 

すると、家に帰って来て

仕事のことを考えても苦にならないし、

職場の人と連絡を取り合うのも、

前はすごく嫌だったのに、

いまは何とも思わない。

 

これまで自分が休みの日は、

ぐったりして横になって動けなくて、

いつもふと時計を見るたびに

「あー、今頃みんな仕事してるんだ」

と思って気になって、

全然休んだ気にならなかったけれど、

 

最近は、

「今日はわたしは休んでいいんだ。

よーし、子どもと出かけるか!」

と思えるようになった。

 

体力がついたのかな?

 

仕事の日も、家に帰ってきたら、

子どもと一緒に遊んだり、

料理を作ったり食べたりする

余裕が持てるようになってきた。

 

何をもって「充実」と呼べるのか、

わからないけれど、

わたしはいま、なかなかこの状態が、

気に入っているんだと気づいた。

 

一般的に考えれば、

一方を重んじれば、

他方を軽んじることになる。

 

いまは、バランスが取れてるって

ことなのかな。

まあ、やや「仕事」寄りな気はするけれど、

切り替えができるようにはなってきてると思う。

 

 

 

自分以外の人はみな「外国人」と思え

みんなそれぞれ、

「お国」が違うんだ、って思え。

 

みんなそれぞれ、

自分のことしか考えてない。

自分の利益のために動く。

 

ことばも、

考え方も、

性格も、

 

ひとりひとり、違う。

 

他人を自分の思い通りに

コントロールするのは無理だし、

他人が自分の思い通りに

動くことを期待しちゃいられない。

 

そう思えば、

わたしは実にいろんな「外国人」と

異文化交流させていただいておりますなあ。

日々、勉強になっております。

 

でもその中に、

「あれ?もしかしてあなた、

わたしと同郷の人?」

という貴重な存在を見つけると、

非常に嬉しくなってしまうのです。

抜け出してきてる

最近やっと、

「わたしは元気だなあ」

と自覚しているし、

元気でいることに、罪悪感を

感じなくなってきている。

 

これでいいんだって、

元気でいていいんだって、

 

15年ぶりくらいに思えている。

 

不思議だけど、

懐かしい感覚。

 

ああ、わたしにも、

こんな頃があった。

 

自分の中から、

余計なものが融けだして、

排出されていく。

デトックスされていく。

 

日に日に、

わたしは昔の、元気だったころの

自分へと、還りつつある。

働く喜び

ああ、わたしは知ってしまったんだ。

「働く喜び」ってやつを。

 

「生きるってことは、働くってことなの。

働けないってことは、死んでるのと同じなの。」

 

「どんな仕事でも、お金が少なくても、

『働く喜び』を知れば、それで幸せなの。」

 

「明日はもっとここをこうしてみよう、

とか『挑戦』すること、

明日も頑張るぞっていう『希望』をもつこと。

それが『生きる』ってこと。『働く喜び』ってことだよ。」

 

そんなことを、わたしに教えてくれた人がいる。

 

いまはとかく、

「いかに働かずに、お金を得るか」が

大事なことで、最先端で、カッコ良くてオシャレ

であるかのように言われていると思う。

 

 

わたしも、

「働かず」に、莫大な資産を得ることを

求めていると自分に思わせてきた。

 

不労所得」。

 

…なんて、心地よくて甘美な響きだろう、

と思っていた。

 

でも、それは、わたしには違うって、

やっと、気づいた。

 

働くように、人間はつくられている。

それは、主が定められたことだ、と。

 

わたしは、いまは、とにかく、

目の前の仕事をただひたすら、

愛を込めて、心を込めて、

するだけです。

 

職場の仲間に気を配りながら、

互いを思いやって、

和気あいあいと。

 

そうしていれば、

きっと、次の道が見えてくる。

 

そう思うと、焦りも不安も不思議と

小さくなっていく。

 

 

はだかを見たい

名字も肩書も地位も名誉も財産も、

どうでもいい。

 

わたしはそんなものには興味がない。

ひとが作った、いずれなくなる、

墓場まで持って行けないものになんか。

 

いつだって、

すべて引っぺがされたその人が見たい。

 

丸腰のままで、その人がどういう人なのかを知りたい。

 

 

人間のしあわせ

人間のしあわせって何だろう。

 

人がうらやむほどの財産を手に入れても、

晩年は病に苦しむ人もいる。

 

ありあまるほどのお金を持つこと、

名誉を手に入れること、

高い地位に就くことを

多くの人は欲する。

でも、その代償は必ずどこかで払わなければならない。

 

全てが上手くいっているように思える人でも。

 

諸行無常

栄枯盛衰。

 

そう考えると、

こころとからだの健康に勝る財産はない。

「からだは資本だよ」

というのは、真実だ。

 

「こころとからだを壊してまで

働くことないよ。自分を大事にね」

と言われても受け入れられずにいたわたしが、

いまは、この言葉をすっかりまるごと、

「本当にそうだなあ」って、思ってる。

 

こころとからだが元気であること。

これを大事に、生きていきたい。

 

生きづらさの原因

「あなたはまっすぐで

ウソがつけなくて

誤魔化せないから、

これまで苦しかったんでしょう」

 

と人に言われて、初めて自分のこれまでの

生きづらさの原因に気付かされた。

 

しかしわたしには、

自分がまっすぐだとか、

ウソがつけないとか、

誤魔化せないとか、

 

そんな自覚は、ない。

 

そう言ったら、

「そもそも、誤魔化せないから、

『誤魔化す』ってのがどんなのか

わからないのよ。

いつも『素』の状態だから。」

 

ということらしい。

妙に納得してしまう。

 

ということは、

他の人は、まるで呼吸をするかのように、

無意識に、無自覚に、

ウソをつき、誤魔化しているんだろうか。

 

そういう人達に囲まれて生きているから、

わたしはまっすぐすぎてつらいということなのか。

 

やっぱり、自覚も意識もない。

でも、きっと、そういうことなんだろうと

一度思ってしまえば、

途端に肩の力が抜けて、

生きやすくなってくる。

 

そんな馬鹿正直のわたしに、

「両親に感謝しなさい。

こんなにまっすぐに育ててくれたんだから。」

と言ってくれた。

 

そんなこと言われると、

うれしくて、泣いちゃうじゃんか。